胡蝶之館

胡蝶会&ファンの声

胡蝶会&ファンの声をご紹介

神崎高級工機製作所「桜ライヴ」の感想

  • 2012年4月14日 神崎高級工機製作所にて「桜ライヴ」開催

     Syuka.O

     恒例の我が胡蝶会のイベント「神埼高級工機製作所さくらライブ」
     本日(4月14日)桜吹雪の中で無事に終えました。
     野外演奏は防風対策から音響設備まで年々経験豊になり、
     メンバーズの演奏レベル、お客さんの反応など、すべて高くなって来て
     何より嬉しいです。
     発表会に向けてソロ演奏は、今日の舞台できっと度胸アップになったことでしょう!
     三回の練習 一回の舞台 と言う諺がありますね!
     寒い中、最後まで頑張ってくれた臨月になるサトコさんに拍手いたします。
     今日のさくらライブはお腹の赤ちゃんにとって今年の桜見納めでしょうね~♪
     贅沢なお花見でしたでしょうね♪
     来年の桜ライブには きっと歩いて会場に応援に来るよね~
     楽しみに待っています♪
     次は6月の発表会です。気を緩めないで自信を持って舞台に上がって下さい。
     音響の福田さんに心から感謝致します。

     Yoshiko.M

     満開のみごとな桜 そよ風 青空に春の1日二胡三昧で楽しみました。
     桜ふぶきの中、映画のワンシーンのような演奏、演者に感動しました。
     記念撮影の写真があまりにもきれいで、テレビの横に飾っています。







     Ikuko.S

     心配されていた雨も朝方には上がり桜ライブが2年ぶりに開催されました。
     春とは名ばかり、まだ肌寒い中、見に聴きにいらして下さったお客様の前での
     初めてのソロ演奏、不思議にさほど緊張することはなく、
     あでやかに咲き誇る桜に囲まれた小舞台で演奏できることに胸がときめきました。
     音量もか細く拙い演奏でしたが、静かに聞いてくださった皆様に、
     そしてこのような機会を作って入念な準備をしてくださった全ての皆様に
     感謝いたします。



     Masayo.H

     今年のさくらライブは、入院予定で参加できないはずでしたが、
     手術日の変更で、急遽参加させて頂く事になりました。
     練習不足でしたので、ソロ曲も急遽変更! 前日にレッスンをして頂いての参加でした。
     眼帯をして、病院の窓から桜を見ているはずが、桜吹雪の下で演奏できた事は、
     とても嬉しかったです。





     Makiko.R

     二年ぶりの桜の下、演奏することができました。
     去年は残念ながら自粛になり、次の演奏の機会を待っていました。
     朝に雨が降り心配しましたが、沢山のかたが来られていて、
     毎度の事ながらソロ演奏の直前には緊張しました。
     さくらライブでは歌謡曲を弾くことが多かったのですが、
     今回のソロ演奏は日本では馴染みの無い中国の古典曲。
     二胡らしさが表現できたでしょうか。
     時々はこのような「さくらライブ」もいいかな!


     Maiko.N

     2年ぶりの桜ライヴ。
     待ちに待って来られた方もたくさんおられると思います。
     先月に続き、人前で二胡を弾くチャンスに恵まれたことに感謝します。
     今回は、6月の発表会前ということもあり、誠に勝手ながら、
     発表会で演奏する曲を弾かせていただきました。
     お客様が知らない曲を二胡の音色ひとつで引き付ける難しさを改めて痛感しました。
     この大切な経験を発表会で少しでも生かすことができたらと思います。
     最後になりましたが、神崎のみなさま、ご来場いただいて、演奏を聴いてくださった
     お客様、音響の福田さん、秀華先生、シンペイさん、胡蝶会メンバーズのみなさんに
     感謝したいと思います。

竹谷公民館「二胡の調べ」の感想

  • 2012年3月24日 竹谷公民館にて「二胡の調べ」開催

     Syuka.O

     今日は春一番に言われましたが。。。微妙に疑いますね~
     昨日の残り雨と冷たい風が吹き、折角綺麗にしたヘアーが「乱れ髪」になりました。
     本日の「二胡の調べ」演奏会in竹谷公民館。実は昨年のアンコールだったんです。
     館長さんを始め、沢山の方々から二胡の音色に癒され、
     是非今年も聞きたいとの嬉しい声。。。
     地元の皆さんのリクエストを私は断る理由がない。
     喜んで演奏会の企画に参加しました。
     我が胡蝶会メンバー(有志9名)に声をかけて、人前で演奏するチャンスを作りました。
     今日は色違いのユニホームを揃えて
     (体操服のような体にフィットする肌触りが気持ち良い)
     皆さん余裕のある表情で合奏や二重奏良く出来ました。
     何より嬉しかった♪
     本日の演奏会に参加した人は、一歩前に進んだこと間違いない。
     次回は恒例のさくらライブです。
     きっと我が胡蝶会のメンバーは桜より綺麗に咲いてることを信じています。
     「♪♪去年より 「ちょっと」 綺麗になった~♪♪」

     Yoshiko.M

     王先生の演奏の後の二胡曲2曲は、あっという間に終わりました。
     いっぱいいっぱいで、ついて行けないところもありました。
     弾く時「楽しみながら」がテーマです。





     Masayo.H

     先生の演奏会に、胡蝶会メンバーで参加させて頂いて頂きました。
     「バッタと鶏」ユニークなタイトルの曲ですが、
     16分音符がマスター出来ないままの参加で、自信がありませんでした。
     鳴き声の擬音で始まると、会場から小さなどよめきが起こりました。
     二胡で表現される擬音が以外だったのでしょう!
     お客様の笑顔に励まされて、演奏に力が入りました。
     演奏会のあと、先生は次の演奏会場に行かれ、残った胡蝶会メンバーの周りを、
     多くのお客様が取り囲んで下さって感激です。
     未熟な演奏をほめて頂き本当に嬉しかったです。
     一人でも多くの仲間が増えることを期待しています。
     竹谷公民館の皆様ありがとうございました。

     Terada.Y

     今回は王先生にいい機会を与えていただいて感謝しております。
     会場のお客様の雰囲気もよく、素晴らしいコンサートだったと思います。







     Kaori.M

     グループレッスンの時に人前で演奏する練習はしていたものの、
     実際にコンサート会場で、それもあんなに沢山のお客さんの前で
     演奏するということがどんなに難しい事なのかを実感しました。
     このような貴重な機会を与えて下さった観客席の皆さん、そして王先生に感謝!




     Makiko.R

     今日は私たち胡蝶会メンバーの演奏を聴いて下さりありがとうございました。
     沢山の方の前での演奏でとても緊張しましたが、
     終わった後に「お疲れ様」と声をかけて頂いて嬉しくなりました。
     先生のステ ージで紹介されたのでいつも以上に緊張し ました。
     竹谷公民館の職員の方々にも、私たちの参加を快く了解頂き
     ありがとうございました。


     Shinpei.F

     肌寒い一日でしたが、私たちの心は、氷も溶けて、春が来ています。
     私たちのたどたどしい演奏でも、会場の皆様が温かい拍手を送ってくださったからです。
     皆様からの和らいだ気持ちを、たんと頂き、幸福な心地で家路につきました。
     出屋敷駅までの道すがら、強風の合間にも、梅の香がかすかに漂っていました。
     梅の次は、いよいよ桜ですね!




     Satoko.F

     予想以上のお客さんでびっくり!
     先生の迫力ある演奏の後、どうかなと思っていましたが、
     私たちの演奏も真剣に聴いて下さっているのがわかり、嬉しかったです。
     お腹の子も元気に動いて、この雰囲気を楽しんでいたような気がします。





     Maiko.N

     人前での演奏はとっても久しぶりで、少し緊張しました。
     合奏曲は2曲だけでしたが、月1回のグループレッスンの成果が発揮されたと思います。
     緊張の中にも、余裕をみなさん持てるようになってきたのではないでしょうか。
     竹谷文化会館の方々を始め、会場のお客様も、
     私たちの厚かましい参加を受け入れていただき本当に感謝しています。
     まだまだ拙い演奏ではありますが、真剣に聴いてくださっていたので、
     自信につながりました。
     演奏が終わった後に、わざわざ私たちのところまで来て、「ありがとう。」と
     言われれたときは本当にうれしかったです。
     また、胡蝶会や二胡に興味を持たれ、いろいろ聞きにいらした方の中から、
     新メンバーが加入なんてことになったら、こんなにうれしいことはありません。

王家クリスマス会

  • 2011年12月25日 王家にて「クリスマス会」開催

    みんなでアロハ!  毎年恒例である王家のクリスマス会。今年も開催されました。
     みんなそれぞれ、思い思いのコスプレで、お鍋をつつきながら、
     楽しいおしゃべりあり、今年1年の振り返りありで、
     あっという間に時間が過ぎ…

     クリスマス会メインイベントである、
     先生扮するかわいいグリーンサンタさんから、
     寒~い冬にピッタリの暖かいプレゼントをもらいました(●^o^●)
     そして、さらにサプライズが!?それはなんと表彰式!!!

    王秀華with良久さん 王秀華with麻衣子 新米ママになって、子育てに奮闘しながらも、
    時間を作り一生懸命二胡のレッスンに、
    取り組んだ良久さんは努力賞を受賞。本当におめでとうございます。
    それから、私も思いもよらない皆勤賞をいただきました。


    クリスマス会がどんどん盛り上がる中、サプライズ第二弾。
    先生と湊さんのフラダンス。とってもよかったです。
    アンコールでは、湊さんのソロフラダンス。笑顔がすてきでした。
    来年先生は、フラガールデビューするそうです。楽しみですね~。


    そして、いつも縁の下の力持ちで支えてくれている水谷さん、
    忙しい中かわいい差し入れを作ってくれた原田さん、
    本当にありがとうございました。


    最後に、胡蝶会の方をはじめすべての方に感謝したいと思います。
    皆様は今年1年どうでしたか?
    来年も皆様にとって良い年でありますように。





    王秀華with湊さん 秀華サンタさん
    文責: 中堤麻衣子

ハロウィンライヴの感想

  • 2011年10月28日 三裕の館にて「ハロウィンライヴ」開催

    マリリン・シュウカwith久保比呂志2

    10月になるとハロウィンムードですね~
    街にカボチャ形の商品が至る所に見えてきます。
    楽しまなきゃ~。

    今年のハロウィンライブは演奏仲間と二人編成。
    私は「マリリン.モンロー」の格好で登場。
    開演一時間前に変身タイム。
    控え室から会場までは、大きな道を渡らないといけない、
    街の人に不思議な目で見られました。


    マリリン・シュウカwith久保比呂志3

    オープニング曲は「あなたに愛されたいのに」♪♪
    大爆笑!!
    マリリンモンローは二胡弾けたっけ?(笑)

    挨拶は「マリリン.シュウカ」です~~
    またまた大爆笑!!
    この仮装ライブはお客さんの最高の笑顔と笑い声でした。


    全員仮装でハイチーズ

    演奏曲目は映画音楽、ポピュラー、日本の童謡など
    秋の夜に相応しい音楽を二胡とシンセサイザー&津軽三味線で
    お届けいたしました。

    次回はクリスマスライブだ♪(12月16日(金)in三裕の館)
    サンタのお姉さんが二胡を持ってお待ちしています。

サラリーマンNIKO

  • 短期集中連載【サラリーマンNIKO】

    サラリーマンNIKO

    短期集中連載【サラリーマンNIKO】
     普通のサラリーマンが会社を飛び出し楽器を手にした瞬間、不思議なパワーを発揮する(かもしれない?)。
    そんな筆者の5年間の足跡。

    #1 出会いと別れのリフレイン

     私の手元に、1本の二胡がある。5年来、いつも傍らで歌い続けてきた。あるときは優しく、またあるときは、もの悲しく。ともに泣いたこともあった。私は二胡を愛す。

    最近の著者。 二胡はまた、私の人生に、それまでにない価値観をもたらしてくれた。さらに不思議なことに、演奏とは直接関係ない、サラリーマン人生や仕事上の行き詰まりを乗り越える助けとなった。様々な人々と出会い、さらに人生に対する考え方にまで影響を与えたことは、私は二胡と幸運にして出会ったからだと思う。私の充実した20代は、この楽器無くしては存在しなかったのかもしれない。

    「上海事務所 勤務 ヲ 命ズ」

     30歳の秋、このような辞令を受けてしまった。勤続7年目、ついに海外で勤務することになった。
     会社の海外事業所はアメリカ、ドイツ、インドネシアと、各地に展開しているが、中国は初めての事務所開設となる。辞令に印刷された「上海」の文字に、何か運命的なものを感じずにはいられない。
     もとよりシゴトは頑張る覚悟だが、私と私の二胡にも、大きな展望が開かれるに違いない。そんな予感を胸に、上海のホテルで本稿を書いている。私の5年あまりの二胡の練習及び演奏の記録が、皆様の役に立てば幸いである。

    大学時代の仲間と。瀋陽の道教寺院で。 二胡との出会いは10年前に遡る。当時大学生で、縁あって中国語の学習にのめり込んでいた私は、経済学部に所属しながらも文学部の授業に「もぐり込んで」講義を受けること1年、念願であった現地語学研修に同行する機会を得た。わたしの大学と交流関係にあった遼寧大学(遼寧省瀋陽市)での、3週間の研修プログラムであった。
     現地での授業は期待に違わず大変すばらしく、午前中に講義を受け、午後は「演習」と銘打ち瀋陽郊外の村々に出かけ、人々と交流する、そんな内容であった。私たちは特に、午後の演習に熱心で、ダウンタウンで買い物をしたり、夜店に出かけたり、満州族の村で郷土料理をよばれたり、した。
     最初の1週間は無事に過ごしたが、2週間目あたりから、体調を崩すものがあらわれた。
     あるものは切手をなめて、あるものは土ぼこりを吸って、それぞれ事情は異なったが、一行13人がすべからく「満州かぜ」にやられて、順番に寝込んでしまったものである。
     私もまた、突如発した高熱のため授業に出られなくなり、午後の演習をもキャンセルせざるを得なかった。その演習こそ、他ならぬ「民族楽器の音楽会」だった。
     その後体調は戻り、旅は瀋陽から北京、上海、杭州と、多くのキラキラした思い出を若い脳に刻んだ。あの夜聴くはずだった二胡の音色は、夢とうつつの間に置き忘れてきたままに―――。

     それから数年の歳月を経て、私はサラリーマンになっていた。
     ある晩、テレビで「世界の車窓から」を観ていて、確か上海から雲南省・昆明へと至る夜行列車が朝を迎えた場面が流れていた。車窓に過ぎゆく青白い夜明けのシーンのバックに、ゆるゆると響きわたる音楽に、思わず聴き入った。
     この情緒あふれる音楽は、そしてそのメロディを紡ぐ楽器とは、いったい何なのだろう?
     幸い、番組ではホームページが公開されており「燕になりたい」という曲のタイトルを見つけるのに時間はかからなかった。そして、楽器の名前が「二胡」ということを知った。

    (つづく)

    #2 ひたすら基礎の1-2年目

     二胡の音色に惚れた私は、早速教室探しを開始する。音楽といえば義務教育で習ったきり、まったく知識も技術もない私が、よくも思い切った決断をしたものだが、音楽の基礎に関して、最大級の不安があった。
    「あの頃、もっとまじめに授業を受けて、知識が自分に残っていれば。」
     ぼやいても悔やんでも仕方がない。中学生時代、音楽の成績は”2”又は”3B”。基礎をしっかり教えてくれる教室でなければ、続かないだろう...。

    教室で。少し緊張している。 幸い、神戸の南京街に楽器店があり、情報は入った。通信教育やビデオは論外。手元に近畿一円の教室チェックリストを作り、各地の教室を見て回ること数ヶ月、王秀華二胡教室の門を叩いたのは、11月のある晩であった。
     基礎をしっかり身につけることが必要と思う、という私の希望に、秀華先生は異論を唱えなかった。課題曲は家で練習し、教室にいるときは一緒にひき、マンツーマンで悪いところを重点的に指導を受ける。私はこのパタンの練習を、すぐに気に入った。
     それまでに私が調査した限りでは、グループで適当にひかせて、講師が見ているのか見ていないのかよく分からない内に何となくレッスンが終わってしまうところや、講師がしょっちゅう入れ替わって、生徒の面倒が見きれていないところがあった。面倒見の良い教室は少ないという印象だった。折も折、女子十二楽坊の興行が大きく当たり、空前の二胡ブームが起きていた。各地で雨後のタケノコのように新しい教室が開設されていた。
     秀華先生経由で楽器を買った。いくつかの選択肢から選んで、数万円かかったと記憶する。当時はこの楽器がその後の自分の人生にどれほど影響するか思いもよらなかったので、高そうなものは避けた記憶がある。素材は軽かったが、先生がひくと良い音が出た。1年半ほどはこの楽器を使い、ひたすらD調の音階をなぞった。
     私は、二胡に至るまで、本格的に練習した楽器は無かった。目標といっても「一通りひけること」であった。演奏したい曲があったわけでなく、一種の教養のような割と無欲な感覚で練習を開始した。このためか、基礎固めを十分行なうことができた。同時期に習い始めた生徒さんは、ひきたい曲がわんさかあって、うずうずしていた。しかし先生は、
    「演奏に変な癖がつくと、回り道をすることになる。」
     と、練習曲は厳選したものを与えてくれていた。

    練習中の姿 擦弦楽器の場合、初心者には特に、妙な周波数の音が出る。音感のある家族の機嫌は悪化する。私はペットは飼っていなかったが、犬や猫が逃げ出した生徒さんもいるらしい。辛い時期である。
     かといって、他の楽器の経験がある人でも、必ずしも有利というわけではなかった。通常、二胡の外弦と内弦の開放弦は各々実音の「ラ」および「レ」で調弦し、演奏曲によって「ド」とみなす音が移動する。このため、実音で「ラ」である音(外弦の開放音)が、D調で「ソ」、G調で「レ」、F調で「ミ」と読み替えなければならない。ピアノの経験があり、これで混乱している生徒さんがいた。私の場合は、音楽自体まったくの素人なので、比較的すんなりと受け入れることができたような気がする。
     二胡特有の難しさは、他にもある。五線譜は移調しないと使えないこと(まれにそのままOKなものもある)。数字譜を使うこと。右手と左手の動く方向が異なること。ギターのようなフレットがないため、弦のどこを押さえるか自分の感覚だけが頼りであること。音階を作る左手に注意が向きがちであるが、実際の音質は実は右手の動きで決まってしまうこと、...。
     それでも、左右の手の動きと、自分の演奏イメージが一致したとき、弦の振動が指先から全身に伝わってくる。ちょうど、軽く感電するような感覚だ。この快さがたまらず、演奏技術の習得に没頭する日々が続く。練習は3年目に入った。

    (つづく)

    #3 送別会・歓迎会を中心に

     練習を地道に重ね、GやFといった異なる調にも対応し、2オクターヴほどの正しいポジションを覚え、練習曲のレパートリーを増やしてきた頃。にわかに、人に聴いてもらいたくなった。そこで私は、職場のイベントに目をつけた。
     当時、私は人事関係の部署にいた。わりと異動の多い部署で、3箇月に1度のペースで歓迎会や送別会が開かれていた。その機会に積極的に楽器を持ち込み、演奏を試みた。宴会の幹事は自分を含め、大抵若手社員の役目であったので、出演交渉は容易だが、実行運営となればノウハウなどない。MCも音響もすべて手探りで、宴会場に手作り感たっぷりの舞台を設けた。
    職場の送別会で演奏する筆者。楽器にストラップを取り付け、立って演奏する試み。 演奏曲は練習に使った簡単な曲や童謡が中心で、それも初心者丸出しの演奏で甚だ胡散臭いものだったが、自分で舞台を創りあげる喜びを味わった。譜面台には手作りのアートフラワーをあしらった。演奏の未熟な点は、MCでカバーした。この時期、初心者ほど陥りやすい「対人恐怖」を克服する、という点で良い経験を積んだと思う。辛抱して聴いてくださった総務部の皆さまに感謝である。
    「私の送別会でひいてくれてありがとう。」
     宴のあとで声をかけられたのも、何よりの思い出である。

     ところで、会社では、全社を挙げての改善活動発表会がある。各現場から改善担当者が集まり、年間の改善活動の成果を発表する。アメリカの工場からも、技術者たちが来日した。
     総務で唯一英語が話せたのが私だったので、彼らの発表の支援から生活全般の面倒まで、私が担当することに決まっていた。改善発表会が主たる目的であったが、それと合わせて日本の工場見学や、文化交流も日程に含まれていた。1週間ほどのアテンドだが、非常に楽しい仕事だった。

     発表会では社長や役員の居並ぶ中、彼らがプレゼンテーションをし、私が通訳をする。彼らが緊張しないためにも、前もって十分に練習をした。プレゼンも一種の舞台として捉えれば、演奏と通じるものがある。彼らは例外なく緊張していた。私もちょっと緊張しているが、彼らのために、平静を装った。この頃から私は、重要な仕事や交渉ごとの際にもおデコを見せる髪形をするようになった。舞台に立つときには、この髪型が強いということを知っていた。演奏者として舞台に立つ経験のおかげで、社長プレゼンといえども、さして怖くなかった。
    プレゼンの後で プレゼンが終わると、みんなで交流会をした。会社のテニスコートで焼肉パーティーである。私も「しめた」と、二胡を持込み、作業服で「テネシー・ワルツ」の演奏をした。選曲の理由は、彼らの工場がテネシー州にあったからだ。彼らは日本でまさか、このような「ふるさとの歌」を聴けるとは思わなかったらしい。プレゼンの緊張も解け、涙をポロポロ流して喜んでいた姿を、私は忘れない。
     数年後、彼らの工場に訪問する機会があったとき、
    「ハロー。きょうは二胡は持ってきたのか?」
     自己紹介よりも、仕事よりも先にそんな会話が飛び出したほどだ。驚いたことに、工場では二胡は「ジャパニーズ・バイオリン」と呼ばれていた。たかが素人の二胡の評判がついに、太平洋を越えてしまった。

    (つづく)

    #4 工夫在弦外

     レッスンに励む中、「工夫在弦外」という言葉と出会う。弦の内にこれを求むるは即ち不足し、弦の外にこれを求むるは即ち余り有る。突き詰めれば、上達のコツは演奏技術がすべてではない、という意味である。確かに、巧拙とは無関係に自信たっぷりに演奏する人はいるものだ。私はといえば、
    「結構上達したけど、姿勢が悪いよね。」
     秀華先生に断言されるありさまだった。舞台に立てば演奏に集中するあまり、ちょっとした癖が出てしまいやすい。表情も硬くなりがちだ。改善するために、写真など記録が必要ではないかと感じた。しかし、よほどの奏者でなければ、自分自身の演奏記録など、参照すらできないではないか?
     無いものは自分で作らなければならない。こうして、演奏記録をマメにつけるようになった。仲間の写真も積極的に撮った。気になる自分のステージについては、写真を見ると、確かにイメージとは程遠い自分の姿が映っている。私はそれまでの「ひきっぱなし」「やりっぱなし」を後悔した。人間は振り返らなければ成長しないということが、よく理解できた。演奏中の姿勢については、以後意識して舞台に立つようになった。あとは無意識で良い姿勢を保てるよう、癖をつけることだと思う。
     一方、私の取った記録の一部は、この王秀華公式ウェブサイトで、活動リポートとして活用されるようになった。思わぬ副産物だ。2004年、王秀華公式サイトが立ち上がる。私が管理者を引き受け、コンテンツの製作が始まっていた。

    初代ウェブサイトのデザイン ところで、私の中学生以来の趣味で、写真撮影があった。もともとは野外の撮影が中心だったが、ウェブサイト管理を担当して以後、舞台の撮影にも手を広げた。人物を撮るなど初めてのことで、ライティング、フレーミング、さらにポージングに至るまで、専門書を買っては研究し、積極的に撮って廻った。現在も教室のイベントの折には、カメラマンを買って出る。さらには画像処理技術も必要となり、ソフトウェアの研究を重ねた。これらはウェブサイトの製作・管理に直接役立った。この頃から、教室で演奏以外の役割も担うようになった。胡蝶会は雑用の宝庫だ。舞台の準備では、音響の方や、他奏者の方、イベント企画会社の方と出会う。いずれも、機械メーカの一介の人事担当者としては出会えないような人たちだった。8の字巻き、上手(かみて)、下手(しもて)、...。未知なる分野の専門用語を次々覚えていったその頃が懐かしい。
    「撮影お疲れ様。」
    「ホームページ、見てますよ。」
     私はあろうことか、会社以外で、人から評価される快感を覚えてしまった。

     そして。会社でお客様を迎える際、又、放送機材が不調の際、演奏関連で仕入れた知識が役に立つことがあった。つまり、総務も雑用の宝庫だったのだ。
     またあるときから、社内報の編集を担当するようになった。この経験は発表会のプログラムなど、各種印刷物の製作に大いに活用したものだ。無論、その逆もあった。

    これまでに作成したパンフレットの一部 自分の持てる様々な分野の知見が、演奏活動をもつうじて進化した。演奏技術もまた、仕事の技術を高める上で役立っているに違いない。これこそ「弦外之工夫」かと実感する次第である。音楽とは単なる楽器や技術の話にとどまらず、演出や興行といった、さまざまな分野の知見を重ねた総合的なコミュニケーションの手段。それをさらに、関わる人たちの人生を深めるものにしてゆきたい、と気づいた。そのための教室の雰囲気づくりであり、画像処理技術である。注ぎ込む情熱は、まったく惜しくなかった。社会人で楽器を始めることは、じゅうぶんに意味のあるものだと思う。

    (つづく)

    #5 レッスンで終わらせると、もったいない?

     レッスンも5年目を迎えた。発表会を何度か経験して、目標を定めて達成する喜びを直接感じるようになっていた。
     職場の宴会などで演奏していることは、気恥ずかしさがあって、又、習っていない曲を演奏したりするものだから、秀華先生には黙っていた(うすうすは感づかれていたかもしれないが)。
     小さな成功体験を重ねるうち、「次」の段階への欲求も次第に大きくなった。
    「小さく生んで大きく育てる」
     とは、ビジネスにも、演奏にも通じる成功の要素かもしれない。

     たとえば、職場の桜まつりでのライヴはその好例である。
     職場(工場)では、地域の条令に基づき、その立地の一定の部分を緑化しなくてはならない。私の工場には立派な桜の木々が植わった庭園があった。毎年見頃になると、近所のどんな公園をも凌駕するような、見事な光景を見せている。そして、満開の土・日曜日に限り、一般の方向けに庭園を開放するイベントがあった。
     これを自分たちの演奏と絡めてみたのである。イベントの主催は総務部門。私が演奏家たちの代表であると同時に総務部の担当者でもあったから、日程さえ決まれば、その段取りは比較的容易につけられた。最初は自分と、ごく親しい教室の友人とで。翌年からは何と秀華先生も来てくれるようになり、今にいたる。聴衆の人数もうなぎのぼりに上昇し、最初は多くて10数人だったのが、100人ちかく集まるようになった。満開の桜の樹の下で、季節の曲を演奏する―――会社にとっても近所の皆様にとっても、もちろん演奏者にとっても、楽しいことこの上ないイベントだ。
    桜まつりライヴにて。 花の見ごろともなれば、
    「二胡の演奏はいつですか?」
     という問い合わせが守衛所などに寄せられるという。自分たちの演奏が、地域の皆様に楽しみにしていただいている。ありがたい話である。
     自分たちで作る演奏会だから、準備は念の入ったものである。4月の本番に合わせて、各自少なくとも1月には参加意思表示をし、選曲することにした。自分の好きな曲を選ぶから、必死で練習を重ねて本番を迎える。終わったら、ウェブサイトにリポートを投稿して、自分の演奏を振り返る。桜まつりライヴの演奏を通じて、私たちの間に、PDCAの思考に基づいた練習法が浸透してきた。秀華先生も、生徒たちが「舞台で人から見られること」、「計画を立てて実行すること」で成長する姿を好ましく感じたらしい。病院のお見舞い演奏や学校の訪問演奏など、「仕事」を取ってきてくれるようになってしまった(無論、ボランティア演奏であるが)。このような二胡教室は、世界でもここだけと言っていい。

    桜まつりライヴにて。 桜まつりライヴのレベルアップに取り組んでいた頃、私は営業部に異動している。
     新しいフロアで内線番号に2525番が割り当てられた。「ニコニコ」とは、いろんな意味で縁起の良い番号だ。
     内線電話の担当は総務の先輩。何か言おうとして彼を振り向くと、
    「おまえは二胡がひけるからな。」
     と目で合図をくれた。粋な計らいだった。

     海外営業を担当した当初、地域、業務、客先などは決まっていなかったが、出張には頻繁に指名された。仕事を全体的に覚えさせようとの方針だった。1箇月間北欧に滞在したときは、ウェブサイトの更新が滞るのではないかと心配もしたが、現地の通信環境が良かったことと、生徒さんからの投稿が幾つかあったことで、無事対応できた。このあたりから、ウェブサイトの性格が、微妙に変わってきた。奏者・講師としての王秀華の情報に加え、生徒さんたちの声も掲載されるようになったのである。
     海外出張を受命するたび、楽器を持参し、知り合う人びとに紹介したい気持ちが胸をよぎったが、それはできなかった。二胡はニシキヘビの皮を材料としており、ワシントン条約によって越境が厳しく制限されているからだ。大切にひき込んだ楽器を没収されてはたまらない。これはハンドバッグなどの奢侈品とは違い、文化の伝播を担う、大切な役割があるのだが、税関は理解してくれない。残念な話だ。

    (つづく)

    #6 再会

     ところで、この楽器の不思議な効用についてお話したい。人々を結びつける、不思議な力について。

     海外営業という仕事柄、中国ビジネスの諸問題を研究する機会があり、CMMS(Chinese Marketing and Management School)という会に積極的に関わっていた。どうしたわけか、私が二胡を演奏することが会の皆様に知られてしまい、岐阜県のさるIT会社の社長の方から演奏依頼が入った。かれの会社がスポンサーをつとめる通販番組での演奏(数分間)だった。
     私の実力に鑑み、交通費自己負担、ノーギャラという条件での出演であったが、演奏でTVに出演するなど、又とない機会である。秀華先生にも事情を打ち明け、張り切って練習した。

     実は私には、この岐阜放送での演奏には別の目的があった。

    堀江さんと従業員の皆さん 10年前、私が瀋陽で語学研修をしていた頃に知り合った人で、日本料理店のオーナー、堀江さんがいた。
     堀江さんは岐阜県出身。もとは地元の銀行の食堂の支配人である。縁あって開始した中国語の勉強から中国好きとなり、好きが嵩じて中国での起業を決意する。単身で中国に渡った初年は大学で語学習得の傍ら、学生食堂の従業員たちに料理を指導。同時に調達のノウハウやビジネスのネットワークを手に入れた。念願のお店は3年後に開業。実に60歳を過ぎての夢の実現であった。私と年齢はかなり離れているが、いわば「遼寧大学の先輩」にあたる人だ。
     日本料理店「堀江亭」は遼寧大学のすぐ隣にあり、私は研修期間中、しばしば訪れた。堀江さんの人柄と、お店の営業方針に惹かれるところが大いにあった。
     メニューは親子丼、うどん、そばや日替わり定食など。当時、瀋陽で日本料理といえば非常に高級で限定的な存在であったが、堀江亭のメニューはまさしく「大衆食堂」のそれであった。

    堀江亭外観 今でこそカレーライスやカツ丼を食べさせる店は、中国各地に見出すことができる。しかし、10数年前となれば、これは非常にユニークな存在であった。お店のカウンターで聴く堀江さんの苦労話がまた、興味深かった。たとえば、日本風味の味噌など、手に入らない食材を内作化し、大衆的な価格を維持していた。店は学校関係者のみならず、現地駐在員の方からも評判で、夜は「赤提灯」としても知られていた。従業員の扱いが良かったからか、いつも同じ店員さんが出迎えてくれた。ビジネスという視点で「堀江亭」を見ると、改めて、その特徴的な存在、先駆的な取組に気づかされる。「面子」、「国情」、「TIC問題」、...。現在の中国ビジネス方法論にも通じる多くのキーワードは、この頃に知ったものだ。
     私が就職した後も、休暇の旅行先に瀋陽を選び堀江さんを訪問し、得がたい経験をさせてもらった。奥地の知人を紹介してもらい、冬の農家に泊めてもらったこともあった。
     そんな付き合いが数年続いたある日、堀江さんから悪いニュースが知らされる。周辺の地域が再開発され、お店も取り壊されるというのである。加えて、堀江さん自身も持病の療養のため、しばらく休業するという話であった。
     ちょうど私も人事から営業に異動するタイミングで、1箇月欧州に出張するなど忙しさにまぎれ、お互いの連絡が取れなくなった。以後、メールも届かず、電話も通じず、3年ちかくの歳月が流れていた。

     岐阜放送で出演のオファーが入ったとき、私はこれは堀江さんを探すチャンスだと直感した。二胡の導きで懐かしい堀江さんに会える、そんな気がした。出演後、局の方などに手伝ってもらい、古い電話帳のページを繰った。ほどなく、懐かしい名前を見つけ出すことができた。
     おそるおそる、電話をかける。
    「堀江です―――」
     携帯の受話器から懐かしい声が聞こえるではないか。私は涙が出た。
     帰りの新幹線で、この上なくうまいビールを飲んだ。

    (つづく)

    #7 一張白紙 描新図

     5年目を迎え、楽譜のとおりに演奏することは、そこそこ出来るようになった。二胡をはじめた当初の目標は、十分達成したと見てよいだろう。次なる自分の目標は、第一に、ほかの楽器との合奏である。

     最近、高校時代の後輩と再会する機会があった。卒業後、音大で声楽を専攻、プロの歌手になっていた。聞くところによれば、今年(2008年)後半から、オーストリアに飛び、さらに修行を積み重ねる由。
    「ウィーンに行く前に、先輩の二胡とセッションしたいな。」
     そんなことを言うものだから、飲んでいたものを吹き出すほど驚いた。自分がプロの歌手と共演するなんて、まさか!
    わたしの楽器 実のところ、他の楽器とセッションした経験など、ほとんど無かった。二胡はチューニングが特殊(#2を参照)で、それゆえに、ピアノなら移調ができる人でなければダメ、ギターはカポが必要。時にほかの楽器のできる友人から挑まれても、
    「いや、二胡はなかなか特殊な楽器で...」
     と、敬遠することが多かった。つくづく、相手を選ぶ楽器だと思っていた。

     しかし彼女はウィーンへ、私は上海へ、それぞれ散ってしまうのである。「西の方、陽関を出ずれば故人無からん」と古い詩にも言う。ぜひやりたい。そういえば声楽こそ移調は簡単ではないか?
     事情を説明したところ、じゃあ彼女が音を1個ずらしましょう、と、いとも簡単に決まってしまった。二胡はそのままで、演奏できることになった。
     そうして本番、元町商店街の一角にある喫茶店で、「ふるさと」を合奏した。二番は私が下のパートを演奏し、彼女が上のパートを歌い、ハモった。小さな店だったが、演奏後、店内は大きな拍手で満たされたものだ。
    ―――童謡もここまで魅せ場のある舞台が創れるのか!
     私の新たな発見である。

    三線と合奏のシーン(C)並川洋子税理士事務所 また、或るセミナーで、三線を演奏する税理士の方と知り合う機会があり、彼女と彼女のバンドの仲間と舞台に出てみないかとの誘いがあった。
     三線と合奏なんて、果たして可能なのか?と、半信半疑で承諾。
     不安は的中する。チューニングがどうしても合わないのだ。たとえば、「涙そうそう」では、三線のチューニングが低く、二胡の音が1度届かない。三線のチューニングを上げれば、弦が切れる恐れがあるという。
     結局、二胡が1度下げることで解決した。CとGなんて、ありえないチューニングだ。胡散臭い対策かもしれないし、正しいことかどうかも、よく分からない。無論、秀華先生には相談すらしていない。
     変なところで浮気ばかりしている。私は、実は悪い生徒かもしれない。

     しかし演奏後、聴衆の方から、
    「良いコンビネーションね。」
     そう言われて、嬉しかったものである。発言の趣旨は男女の相性(?)のことでなく、楽器の音色についてのものだった。
     たとえて言えば、三線のリズムは太陽の日差し。そして二胡のメロディは月の輝きと通じる、という。良い表現だ、と思った。しかし、楽器の音色の相性は良いのに、何を演奏するにしてもチューニングが合いにくいとは!
     これを解決するには...?
     三線と二胡のすばらしい合奏曲を開発すれば良いのではないか!?
     また、私の新たな夢が見えてきた。目標を定めて勉強する楽しみが、再び始まりそうな予感だ。

     二胡とサラリーマン。一見競合するふたつの概念が、自分の中でうまく融合することで、予想もつかぬ恵みがもたらされている。
     これからも、二本の弦でいろんな人をつないでゆきたいと思っている。

     One World by Two Strings―――胡蝶会のキャッチコピーそのままに...。

    (完)